概要

爆弾は上空六百メートル、南東へ百五十メートルの地点で炸裂したため、爆風は建物を横からではなく上から押した。壁とドームの鉄骨が残ったのはそのためである。中にいた人は全員即死した。市は二十年にわたり、痛ましい廃墟として取り壊すか残すかを論じた。放射線障害で亡くなった女学生の日記が公にされ、世論は保存へ傾いた。一九九六年にユネスコの世界遺産となった。

見どころ

外周を一周したい。川と反対の北側から、崩れた内部が最もよく見える。灯りがともり公園に人がいない夜と、昼と、二度訪ねたい。保存工事は躯体を安定させるだけで復元はしない。だから目に映るものはどれも建て直されていない。