概要
八九四年に遣唐使が停止されると、宮廷装束は国風の様式へと展開した。女性は袿(うちき)を幾重にも重ね、その上に唐衣と裳を着けた——のちに十二単と俗称される装いだが、実際の枚数は一定しない。
主な装い
男性は儀式に束帯、平常には軽い直衣や狩衣を用いた。尊ばれたのは襲の色目(かさねのいろめ)で、花や季節の名をもつ重ね色の調和を、襟・袖・裾にのぞかせた。
移り変わり
武家の政治が台頭すると、この重く華麗な装束は簡素な衣に道を譲り、下に着ていた小袖が、やがて表着へと長い上昇を始める。
公開日: · 更新日:
794年–1185年
平安の宮廷は、日本の典型的な貴族の装いを生んだ。女性の正装は俗に十二単と呼ばれる重ねの装束、男性は束帯であり、その美意識は季節の色を洗練して重ねることにあった。
八九四年に遣唐使が停止されると、宮廷装束は国風の様式へと展開した。女性は袿(うちき)を幾重にも重ね、その上に唐衣と裳を着けた——のちに十二単と俗称される装いだが、実際の枚数は一定しない。
男性は儀式に束帯、平常には軽い直衣や狩衣を用いた。尊ばれたのは襲の色目(かさねのいろめ)で、花や季節の名をもつ重ね色の調和を、襟・袖・裾にのぞかせた。
武家の政治が台頭すると、この重く華麗な装束は簡素な衣に道を譲り、下に着ていた小袖が、やがて表着へと長い上昇を始める。