人物
労働運動と新聞を経て政界に入ったカーティンは、1941年、戦争のさなかに首相となった。日本の南進により、オーストラリアは初めて本土への直接の脅威に直面した。
何をしたか
彼はイギリスに代えてアメリカとの協力を明確に選び、外地の部隊を本土防衛のために呼び戻した。総力戦体制のもとで国を組織し直した。
後世への影響
過労のなか、彼は戦争終結の直前の1945年7月に在職のまま没した。カーティンは、危機の時代にオーストラリアを導いた最も尊敬される首相の一人とされる。
公開日: · 更新日:
1885年–1945年
第二次世界大戦中に労働党を率いた首相で、国の防衛の軸をイギリスからアメリカへ移し、危機の時代のオーストラリアを導いた指導者。
労働運動と新聞を経て政界に入ったカーティンは、1941年、戦争のさなかに首相となった。日本の南進により、オーストラリアは初めて本土への直接の脅威に直面した。
彼はイギリスに代えてアメリカとの協力を明確に選び、外地の部隊を本土防衛のために呼び戻した。総力戦体制のもとで国を組織し直した。
過労のなか、彼は戦争終結の直前の1945年7月に在職のまま没した。カーティンは、危機の時代にオーストラリアを導いた最も尊敬される首相の一人とされる。