概要
レノンとマッカートニーの学生バンドを母体に1960年リヴァプールで結成され、ハンブルクでの長期公演で鍛えられた。1962年にリンゴ・スターが加わって最終的な編成が固まり、ブライアン・エプスタインのマネジメントとEMIアビー・ロード・スタジオのジョージ・マーティンのプロデュースの下、1963年に『プリーズ・プリーズ・ミー』を発表、新聞が「ビートルマニア」と呼んだ熱狂に火を付けた。
役割
1964年のアメリカのテレビ出演は全米チャートへの「ブリティッシュ・インヴェイジョン」の扉を開いた。『ラバー・ソウル』(1965年)から『リボルバー』『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』(1967年)『アビー・ロード』(1969年)に至るアルバム群は、インド音楽や前衛、管弦楽の書法を取り込み、ポップスのレコードをスタジオの芸術形式へ変えた。レノン=マッカートニーの楽曲集はポピュラー音楽で最も多くカバーされ、映画やファッション、アップル社の事業とあわせて、バンドは1960年代の若者文化の象徴となった。
その後
1967年のエプスタインの死と事業をめぐる対立に軋み、バンドは1970年に解散した。4人はそれぞれソロ活動に進み、ジョン・レノンは1980年にニューヨークで殺害された。レコードの売上は累計10億枚規模と推計され、その影響は、芸術として扱われるポピュラー音楽の基準であり続けている。