何が起きたか
武装した貴族の反乱に直面したジョン王は、恣意的な王権を制限する63か条の特許状を受け入れた。最も名高いのは、自由人は同輩の合法的裁判または国の法によらなければ逮捕・投獄・財産剥奪されないこと、そして裁判を売らず遅らせないことを定めた条項である。
背景
重税とフランスでの軍事的失敗、とりわけ1214年のブーヴィーヌの敗戦が貴族たちを反乱へ駆り立てた。憲章は原則の宣言であると同時に講和条約であり、教皇インノケンティウス3世は数週間のうちにこれを無効と宣言、内戦が再燃した。
影響
ヘンリー3世の下で1216年、1217年、そして決定版となる1225年に再発布され、マグナカルタはステュアート朝に対抗する議会の拠りどころとなり、アメリカ合衆国憲法から人権諸章典まで後世に響き続けた。1215年版の原本は4通が現存する。