何が起きたか
安禄山は755年12月に范陽で挙兵し、洛陽、次いで長安を陥れた。玄宗は四川方面へ逃れ、馬嵬では兵士たちが寵妃・楊貴妃の死を迫った。反乱は安禄山の後継者たちと史思明に引き継がれ(「安史」の名の由来)、ウイグルの援助を得て763年までに鎮圧された。
背景
安禄山はソグド・テュルク系の出自の節度使で、東北辺境の大軍を掌握していた。
影響
人命の損失は甚大で、行政の崩壊は戸籍記録にも表れた。唐の中央権力は完全には回復せず、節度使の支配する地方は半独立化し、財政制度も転換して780年に両税法が施行された。