何が起きたか

1702〜03年の冬、大石内蔵助に率いられた浅野家の旧家臣(浪士)47人が吉良義央の屋敷に討ち入り、吉良を討ち取ったうえで自首した。幕府は重い議論の末に浪士たちへ切腹を命じ、1703年初めに執行された。浪士たちは主君のそばの泉岳寺に葬られ、その墓は今も訪れる人が絶えない。

背景

1701年、赤穂藩主・浅野長矩が江戸城内で、幕府の儀礼指南役・吉良義央に刀で斬りかかった。城内での刃傷は大罪であり、浅野は即日切腹を命じられて所領は没収された。一方の吉良にはお咎めがなかった。

影響

事件は「忠臣蔵」となった。1748年に人形浄瑠璃として劇化されて以来、数え切れないほど語り直されてきた。忠義と法の相克をめぐる日本を代表する物語として、今なお道徳家と歴史家の議論の的である。