何が起きたか

1221年、後鳥羽上皇が執権・北条義時の追討を掲げて兵を挙げ、武士たちに挙兵を呼びかけた。『吾妻鏡』の伝えるところでは、北条政子が御家人たちに訴えかけ、東国の結束を保ったという。幕府軍は京都へ進撃し、約1か月で勝利した。

背景

源頼朝の血筋が絶えた後、武家支配に対する朝廷側の不満が高まっていた。

影響

3人の上皇が配流され(後鳥羽上皇は隠岐へ)、幕府は朝廷を監視する六波羅探題を京都に設置した。敗れた側からは約3000か所の所領が没収され、御家人たちに再配分された。この乱は決定的な転換点となり、以後、武家政権が朝廷の上に明確に立つ体制が1868年まで続いた。