何が起きたか
1274年(文永の役)、およそ3万〜4万の軍が対馬・壱岐を襲って博多湾に上陸したが、緒戦ののち引き揚げ、嵐で船を失った。1281年(弘安の役)には、伝統的な数え方で合わせて約14万人という、近代以前では最大級の海上作戦となる二つの艦隊が向かった。日本側の沿岸の防塁と抵抗により博多で数週間足止めされた末、艦隊の大部分は台風で壊滅した。
背景
クビライ・ハンは元の中国から遠征を発し、艦隊と乗組員には徴発された高麗と中国の船・人員が充てられた。
影響
遠征は元に莫大な負担を残した。日本では、十分な恩賞を与えようのない防衛戦が鎌倉幕府を疲弊させ、その後の滅亡の一因となった。「神風」の観念は20世紀の神話にまで谺した。鷹島沖の水中考古学調査では、1281年の艦隊の沈没船や碇が引き揚げられている。