人物

名は楊広。隋の第2代皇帝である。伝統的な史書は、父・文帝の不審な死のさなかに即位したと伝える。「煬」(浪費者の意)という諡は、勝者となった唐が定めたものである。

何をしたか

帝国的な規模の事業を次々と進めた。大運河は彼の治世に完成し(605年〜610年)、洛陽は東都として再建され、生まれて間もない科挙制度も前進した──進士科の創設は伝統的に彼の治世のこととされる。しかし612年〜614年の3度にわたる高句麗(朝鮮)遠征は大失敗に終わり、その途方もない負担が帝国全土の反乱を引き起こした。彼は江都(現在の揚州)に退き、618年、自らの親衛兵に絞殺された。

後世への影響

秦の始皇帝と並び、大事業と過剰な拡大が短命王朝を滅ぼす典型となった。その一方で、彼の運河は何世紀にもわたり中国を養い続けた。