人物
本名は楊玉環。745年から玄宗皇帝の「貴妃」の位にあった。もとは玄宗の皇子の一人に嫁いでいたが、のちに玄宗の後宮に迎えられた。
何をしたか
一族は彼女とともに栄えた。従兄の楊国忠は宰相となったが、その失政は広く非難された。755年に安禄山が反乱を起こしたとき、楊国忠の排除はその掲げた大義の一つだった。756年、朝廷が四川へ逃れる途上、馬嵬駅で護衛の兵士たちが楊国忠を殺害し、さらに皇帝に迫って彼女に絞殺による死を命じさせた。
後世への影響
白居易の「長恨歌」(806年)がこの悲劇を中国最大の愛の物語に変え、日本にも渡って能「楊貴妃」となった。美貌が王朝の転落と絡み合った、永遠の象徴である。