人物

フランスでの勤工倹学(働きながらの留学)時代に、若き共産主義運動に加わった。第一次国共合作期には黄埔軍官学校の政治部主任を務め、南昌起義(1927年)の指導者の一人となり、長征も経験。西安事変(1936年)と戦時の統一戦線では主要な交渉役を担った。

何をしたか

首相・外交官として、ジュネーブ会議(1954年)とバンドン会議(1955年)で中華人民共和国を代表し、平和五原則の共同提唱者となった。1972年には画期となるニクソン訪中を迎えた。文化大革命の間も国家機構を機能させ続け、一部の幹部や機関を保護した(その範囲については歴史家の間で議論がある)。晩年には「四つの現代化」を提唱した。1976年1月の死去は、同年4月の大規模な民衆の追悼——1976年の天安門事件——を呼び起こした。

後世への影響

行政と外交の達人と評され、民衆の深い敬愛を受け続けている。