人物

フランスでの勤工倹学中に入党し、長征を経験、国共内戦では第二野戦軍の政治委員を務めた。文化大革命では二度失脚したが、1976年以降に復権し、1978年12月の第11期三中全会からは、党と国家の最高ポストに就かないまま最高実力者となった。

何をしたか

改革開放を始動させた。農家生産請負制による農村の脱集団化、深圳などの経済特区、外資導入と貿易——「中国の特色ある社会主義」と総括され、「黒い猫でも白い猫でも、鼠を捕るのが良い猫」という現実主義の警句でも知られる。香港問題では中英共同声明(1984年)による「一国二制度」の枠組みを取りまとめた。1989年には天安門広場を中心とする民主化要求運動が、最高実力者として鄧小平が承認した戒厳令の下、6月3日から4日にかけて軍により鎮圧された(死者数の推計には幅がある)。1992年の南巡講話で改革を再加速させ、1997年2月、香港返還の数か月前に死去した。

後世への影響

彼が開いた改革の時代は、中国の経済と人々の暮らしを一変させた。