何が起きたか

1798年7月、ナポレオン・ボナパルトは約3万5000の兵を率いてアレクサンドリア付近に上陸した。7月21日のピラミッドの戦いでは、フランス軍の方陣がカイロ近郊でマムルーク騎兵を粉砕したが、8月1日、アブキール湾のナイルの海戦でネルソン率いるイギリス艦隊がフランス艦隊を撃滅し、遠征軍はエジプトに孤立した。カイロの蜂起は苛烈に鎮圧され、1799年のシリア進攻はアッコで頓挫した。ナポレオンは同年8月に密かにフランスへ帰国し(まもなくクーデタで権力を掌握)、残された軍は1801年にイギリス・オスマン連合軍に降伏した。

背景

遠征の狙いは、イギリスとインドを結ぶ航路を脅かし、革命フランスに栄光をもたらすことにあった。ナポレオンは167人の学者・科学者(サヴァン)を同行させ、エジプトを徹底的に調査させた。

影響

学者たちの仕事は大著『エジプト誌』に結実し、事実上、近代エジプト学の礎となった。1799年には兵士がロゼッタ・ストーンを発見している。遠征はまた、マムルーク・オスマン体制下のエジプトの弱体を露呈させ、ヨーロッパ列強のこの地域への帝国主義的関心を刺激し、1805年にムハンマド・アリーが台頭する権力の空白を開いた。