人物
クレイステネスは、名門アルクマイオン家に属するアテナイの貴族で、前6世紀末に活動した。生没年は不明で、慣例では前570年頃の生まれとされるが確かではなく、改革の後は記録から姿を消す。しばしばアテナイ民主政の父と呼ばれる。
何をしたか
前510年にペイシストラトス家の僭主政が倒れると、クレイステネスはイサゴラスとの権力闘争に直面した。イサゴラスはスパルタ王を招き入れたが、民衆の蜂起がクレイステネスを復帰させ、前508〜前507年の改革が実現する。改革は、市域・沿岸・内陸の区(デーモス)を意図的に混ぜ合わせた10の新部族によって地域ごとの貴族の地盤を解体し、区を市民権の単位とし、各部族50人からなる五百人評議会を設け、民会を意思決定の中心に据えた。彼が掲げた合言葉は、法の前の平等を意味するイソノミアだった。10年間の国外追放を投票で決める陶片追放も、アリストテレス学派の『アテナイ人の国制』によれば彼の改革に帰せられるが、使用が確認される最初の例は前487年になってからである。
後世への影響
彼が築いた制度の仕組みは、その後2世紀近くにわたってアテナイ民主政を動かし続けた。党派に対抗する制度設計の古典的な事例として、今日も参照され続けている。