人物
ヴェニゼロスは1864年にクレタ島に生まれ、島の自治闘争の指導者として頭角を現し、1905年のテリソス蜂起を率いた。1909年のグディのクーデタ後にアテネへ招かれ、1910年から首相を務めた。20世紀初頭のギリシアで支配的な政治家であり、しばしば近代ギリシアの建設者と呼ばれる。
何をしたか
首相として憲法改正と土地改革を進め、軍と国家機構を近代化した。1912〜13年のバルカン戦争では、同盟外交と時機の見極めによってギリシアの領土と人口をほぼ倍増させた。第一次世界大戦では協商国側での参戦を主張して中立を望む国王コンスタンティノスと対立し、国民分裂のさなかの1916年にサロニカで対抗政府を樹立、1917年にギリシアを協商国側で参戦させて講和の席で成果を勝ち取った。1919年のスミルナ占領は彼の賭けだったが、1920年の選挙に敗れ、彼が始めた小アジアの遠征は後継者たちの下で1922年の破局に終わり、その後1923年、住民交換を含むローザンヌ講和を交渉したのは彼自身だった。1928〜32年に再び首相を務めてトルコとの和解を進め、1930年にはアタテュルクとのアンカラ協定を結んだ。
後世への影響
1935年の失敗したクーデタへの関与を問われ、1936年に亡命先のパリで死去した。歴史記述では、自由主義的な改革者と膨張主義の賭けに出た政治家という二つの顔を並べて描くのが通例である。アテネの空港は彼の名を冠している。