何が起きたか
ローマ人が定めたのは年だけではなく日付でもあった。4月21日、家畜を清める古い牧人の祭パリーリアの日である。都はのちにこれを自らの誕生日とし、今日もそのように祝っている。そこに結びつけられた伝説は暴力的であり、彼ら自身それを承知していた。建国のその瞬間の兄弟殺しであり、双子に乳を与えた狼のラテン語名「ルパ」は娼婦を指す普通の語でもあって、そちらの読みを好んだローマの著述家もいた。ローマの紀年はこの日付から数えられた——アブ・ウルベ・コンディタ、すなわち「都の創建より」である。
背景
考古学によれば、ローマの丘陵、とりわけパラティヌスの丘の鉄器時代の集落が、およそ紀元前8世紀からラテン・サビニ・エトルリア世界の交差点で一つの都市へとまとまっていった。伝承上の年代と物語は、ウァロやリウィウスといった後代のローマの著述家によって体系化された。
影響
伝説はローマに建国の由来としての一体感を与え、紀元前753年はローマ暦の起点(ローマ建国紀元、ab urbe condita)となった。この伝説が始めた王政は、伝承によれば紀元前509年に打倒され、共和政が樹立された。