人物

1810年、ピエモンテの貴族の家に次男として生まれた。継ぐべき爵位はなく、自ら職を見つけねばならない立場であった。陸軍の工兵将校として教育を受けたのち軍を辞し、10年にわたって一族の所領レーリを科学的農法で経営しながら、イギリスとフランスに渡ってその産業と議会を学んだ。1847年には新聞「イル・リソルジメント」の創刊に加わる——のちに運動全体の名となる言葉である。翌年ピエモンテ議会に議席を得て、1852年に首相の座に就いた。

何をしたか

首相としてピエモンテを近代化し、巧みな外交、すなわち1859年のオーストリアに対するフランスとの同盟や、ガリバルディの征服地の処理を通じて、イタリアの大部分をサヴォイア王家のもとにまとめた。1861年にイタリア王国の初代首相となったが、その数か月後に死去した。

後世への影響

ガリバルディの軍事的役割やマッツィーニの理想を補完する、統一の政治的立案者として記憶され、「祖国の父」の一人に数えられている。