人物
1820年トリノに生まれ、1849年3月、ノヴァーラの敗戦を受けて父カルロ・アルベルトが退位したことにより王位に就いた。イタリア諸邦の君主のうち、前年に与えられた憲法を撤回せずに保ったのは彼だけであり、そのために「紳士王」と呼ばれ、ピエモンテは半島各地からの亡命者の避難所となった。イタリア王国の成立に際しても、彼はヴィットーリオ・エマヌエーレ1世として数え直すことをせず、サルデーニャ王としての代数をそのまま用いた——新王国はピエモンテの拡大にすぎず新しい国家ではない、と批判者が読み取った一点である。
何をしたか
カヴールを大臣とし、ガリバルディの征服地を得て、1861年にイタリア国王を宣言された。1866年にヴェネツィアが、1870年にローマが加わり、ローマを首都として統一が完成した。
後世への影響
「祖国の父」と呼ばれ、イタリア各地の記念建造物に名を残し、その治世は新たな国民国家の上にサヴォイア王家を確立した。