人物
1807年、当時サルデーニャ領の港町ニースに生まれ、商船の船乗りとして海に出た。1834年、ジェノヴァでのマッツィーニ派の蜂起未遂に加わって死刑を宣告され、南アメリカへ渡る。ブラジルとウルグアイで12年にわたり戦い、モンテビデオのイタリア義勇軍に赤シャツを与えた——のちに故国まで彼に従うことになる装いである。1848年に帰国して短命のローマ共和国を守り、コマッキオの湿地を抜ける退却の途上で妻アニータを失った。その後の亡命生活の一時期をスタテン島でろうそくを作って過ごし、やがて岩がちの島カプレーラに落ち着いた。
何をしたか
南アメリカとイタリアで長年ゲリラ戦を戦ったのち、1860年に「千人隊(赤シャツ隊)」を率いる遠征を指揮し、シチリアとナポリを征服した。そしてそれらを国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世に献上し、統一イタリアの形成を助けた。
後世への影響
「二つの世界の英雄」と称えられ、リソルジメント(イタリア統一運動)の象徴として、19世紀ナショナリズムの最も敬愛される人物の一人となった。イタリアの数えきれない通りや広場が彼の名を冠している。