人物
マルクス・アントニウスは共和政末期ローマの将軍・政治家である。ユリウス・カエサルの騎兵指揮官にして最も信頼された腹心として頭角を現し、前44年にはカエサルとともに執政官を務めた。
何をしたか
前44年のカエサル暗殺後、アントニウスはローマの世論を暗殺者たちへの敵意でまとめ上げ、前43年にオクタウィアヌス、レピドゥスと第2回三頭政治を結成、前42年のフィリッピの戦いでブルートゥスとカッシウスを撃破した。東方を統治するなかでエジプトの女王クレオパトラ7世と結び、3人の子をもうけた。やがてオクタウィアヌスとの提携は内戦へと崩れ、前31年のアクティウムの海戦で艦隊が敗れると、前30年、オクタウィアヌス軍がアレクサンドリアを制圧するなかで自ら命を絶った。
後世への影響
オクタウィアヌスの宣伝は彼を「異国の女王に溺れたローマ人」として描き、古代の史料には今もその敵意が色濃く残る。彼の敗北は共和政の内戦に終止符を打ち、オクタウィアヌス(まもなくアウグストゥス)をローマ唯一の支配者とした。シェイクスピアの『アントニーとクレオパトラ』は、その物語を後世の想像力に深く刻んだ。