人物
1883年、ロマーニャ地方のプレダッピオに生まれた。父は鍛冶屋で、メキシコ大統領ベニート・フアレスにちなんで息子を名づけた。母は小学校の教師で、彼自身も一時その職に就いている。徴兵を逃れてスイスへ渡り、のちに帰国して兵役を務め、北イタリアで扇動家・編集者として名を挙げ、29歳で社会党機関紙「アヴァンティ!」の編集長となった。
何をしたか
元は社会主義系のジャーナリストであった彼は、第一次世界大戦後にファシスト運動を創設し、1922年の「ローマ進軍」を経て権力を握り、「ドゥーチェ(統領)」として一党独裁体制を築いた。1929年にラテラノ条約に署名し、1935年にエチオピアに侵攻し、1938年に人種法を制定し、ナチス・ドイツと同盟を結び、1940年にイタリアを第二次世界大戦に参戦させた。1943年に失脚した後はドイツの後ろ盾による傀儡国家を率い、1945年4月にパルチザンに捕らえられ処刑された。
後世への影響
歴史家たちは、彼の体制を独裁・プロパガンダ・植民地戦争、そしてイタリアにとっての第二次世界大戦という惨禍として記憶しており、「ファシズム」は彼が名づけた運動を指す一般的な語となった。