人物
1475年、トスカーナのカプレーゼに生まれ、フィレンツェで育った。13歳で画家ドメニコ・ギルランダイオの工房に入り、翌年にはメディチ家に迎えられて、ロレンツォ・デ・メディチの彫刻庭園で彫ることを学んだ。約70年に及ぶ生涯のあいだに7人の教皇に仕え、その時々の政治に応じてフィレンツェとローマを行き来した。生涯の本業と自ら任じた彫刻のかたわら、300編ほどの詩も残している。1564年、89歳の誕生日を3週間後に控えてローマで没した。
何をしたか
彼は「ダビデ」と「ピエタ」を彫り、システィーナ礼拝堂の天井画を、のちにはその「最後の審判」を描いた。晩年にはサン・ピエトロ大聖堂の建築家を務め、その大円蓋(クーポラ)を設計した。
後世への影響
存命中から「神のごとき者(イル・ディヴィーノ)」と称され、西洋美術に不朽の規範を打ち立て、彫刻・絵画・建築の歩みを方向づけた。