何が起きたか
1960年3月15日の露骨な不正選挙は、馬山で抗議行動を引き起こした。4月11日、学生・金朱烈の遺体が馬山港で発見された。頭蓋に催涙弾が突き刺さったまま殺されたその姿は、全国を憤激させた。4月19日にはソウルで大規模なデモが大統領官邸へ向かい、この日の警官隊の発砲により、一般に引かれる数字で全国180人以上が死亡した。4月25日には大学教授たちが行進し、軍は群衆への発砲を拒み、李承晩は4月26日に辞任して亡命の途についた。
背景
李承晩の12年に及ぶ統治は、ますます権威主義的になっていた。
影響
蜂起は議院内閣制の第二共和国をもたらしたが、13か月後の1961年5月、朴正煕のクーデターに覆された。それでも4月19日は韓国民主主義の原点として生き続け、1987年にも再び想起された。