人物

1633年に生まれ、1656年から1688年7月に没するまでアユタヤ王として在位した。一年の多くをロッブリーの宮廷で過ごし、大王と称えられる。

何をしたか

王室交易を拡大し、ペルシア、中国、オランダ、イングランドの商人を受け入れた。ルイ14世のフランスとは使節を交換し、フランス使節は1685年と1687年に来訪、コーサーパーン率いるシャム使節は1686年にヴェルサイユに到達した。ギリシア人の冒険家コンスタンティン・フォールコンを重用し、強大な権力を持つ宰相とした。その治世はアユタヤ文芸の黄金期としても記憶される。

後世への影響

1688年、ナーラーイが死の床にあるなか、ペートラーチャーが権力を掌握した。フォールコンは処刑され、フランス守備隊は包囲の末に追放されて、フランスとの関係は断たれた(アジアとの交易は続いた)。ロッブリーの宮殿は今も残り、その治世は初期のグローバル化とその揺り戻しの事例として研究されている。