人物
1734年、潮州系中国人移民の父とシャム人の母の間に生まれた。地方官として昇進してタークの知事となり、タークシンの名はこれに由来する。トンブリー王(在位1767〜1782年)として、最大の国難からシャムを立て直した。
何をしたか
年代記の伝えによれば、少数の兵とともに包囲されたアユタヤを脱出し、チャンタブリーに拠点を築いて、1767年の陥落から数か月で都の一帯を奪回した。トンブリーに都を定め、約3年で各地の対抗政権を打倒してシャムを再統一した。ビルマ軍の再度の攻撃を撃退し、1775年には北方の同盟勢力とともにチェンマイを奪取してラーンナーのビルマ支配を終わらせた。さらにカンボジアとラオスに出兵し、ビエンチャンは陥落して(通説では1779年)、エメラルド仏がトンブリーにもたらされた。中国人商人のネットワークを通じて交易も復興させた。
後世への影響
1782年の危機で廃位された。年代記は晩年を常軌を逸した宗教的主張と苛烈な処罰に彩られたものとして描くが、この記述を慎重に読む歴史家もいる。1782年4月に処刑され、麾下の将軍がラーマ1世として即位した。シャムを救った救国の王として敬われ、12月28日は記念日とされる。トンブリーには王を讃える騎馬像が立ち、タイ華人のアイデンティティにとっても英雄的な存在である。