人物
技術者マーク・ブルネルの息子として生まれ、父とともにテムズ川下初のトンネル建設に携わった。ブリストルのクリフトン吊橋の設計案で名を上げ、1833年、27歳でグレート・ウェスタン鉄道の技師長となった。
何をしたか
ロンドンからブリストルまで、ボックス・トンネルとメイデンヘッド橋を擁する名高い平坦路線を敷いた。採用した広軌はのちの「ゲージ戦争」で敗れて廃された。さらに路線を海へ延ばし、グレート・ウェスタン号(1838年)で大西洋横断蒸気船航路の成立を証明し、グレート・ブリテン号(1843年)はスクリュー推進の大型鉄船の嚆矢となり、巨大なグレート・イースタン号(1858年)は営業では不遇だったものの、のちに最初の恒久的な大西洋横断電信ケーブルを敷設した。ロイヤル・アルバート橋やクリミア戦争のレンキオイ組立式病院も手がけた。
後世への影響
ブルネルはグレート・イースタン号の最初の海上試験の数日後、1859年に没した。クリフトン吊橋は追悼として1864年に完成した。その構造物は今も列車と観光客を運び、その名はイギリスで最大級の構想力をもつ工学の代名詞であり続けている。