人物

ヨークシャーの農場労働者の子に生まれたクックは、北海の石炭運搬船で船乗りの技を学び、1755年に海軍へ入った。セント・ローレンス川とニューファンドランドの精密な測量で頭角を現し、海軍本部の目に留まった。

何をしたか

1768年からエンデバー号を指揮し、タヒチで金星の太陽面通過を観測、ニュージーランドを周航して海図に収め、オーストラリア東岸を測量してニュー・サウス・ウェールズとして英国領を宣言した。第2回航海(1772年–1775年)では南極圏を横断して広大な南方大陸の神話を退け、船内の衛生管理によって壊血病が抑え込めることを示した。第3回航海では北西航路を探索してハワイに到達したが、1779年2月14日、ボートの盗難をめぐる争いからケアラケクア湾でハワイの人々との激しい衝突に至り、落命した。

後世への影響

クックの海図は精度の新基準を打ち立て、太平洋をヨーロッパとの接触に開いた。オーストラリア、ニュージーランド、太平洋の島々では、その接触が植民地化と先住民への帰結をもたらし、彼の記念碑や記念日は今日公然と議論される対象となっている。歴史家たちはその評価を、人物そのものと同じだけ、彼の航跡の後に続いたものへの問いとして位置づけている。