何が起きたか
蜂起は1851年、広西の金田で始まった。1853年には太平軍が南京を占領し、「天京」と改称して太平天国の都とした。これを打ち破ったのは王朝の八旗軍ではなく、曽国藩の湘軍や李鴻章の淮軍といった郷紳が組織した新しい地方軍であり、外国人士官が率いる「常勝軍」もこれを支援した。天京は1864年7月に奪回された。
背景
科挙に失敗した洪秀全は、幻視体験ののち自らをイエスの弟と称し、広西で拝上帝会を創設した。太平天国は財産の共有、土地の均分、アヘンと纏足の禁止を掲げたが、実際には神権政治であり、1856年の天京事変では内部で大規模な粛清が行われた。
影響
戦乱により長江下流域は壊滅的な被害を受けた。太平天国を破った漢人の地方軍とその指導者・地方長官の台頭により、権力は清朝の中央から恒久的に離れていった。