人物

ムバラク(1928〜2020年)は空軍将校として経歴を重ね、空軍司令官として1973年の第四次中東戦争の緒戦の航空攻撃を指揮した功績を認められた。1975年に副大統領となり、サダト暗殺後の1981年10月に大統領に就任、2011年2月までその座にあった。

何をしたか

ムバラクはほぼ30年間、途切れることのない非常事態宣言のもとで統治した。その時代は安定と西側との協調をもたらした一方、政治的抑圧や警察による人権侵害が記録され、選挙は自由でないと広く評価された。対外的にはイスラエルとの平和条約を維持し、アラブ連盟におけるエジプトの地位を回復させ(1990年に本部がカイロへ復帰)、アメリカの緊密な同盟国であり続け、イラクのクウェート侵攻に対する1991年の湾岸戦争の多国籍連合に参加した。暗殺未遂も生き延びている(特に1995年のアディスアベバ)。経済は2000年代に自由化と成長を見たが、貧困と失業、汚職への不満は根強く、息子ガマールを後継者に育てているように見えたことは広く反感を買った。

後世への影響

ムバラクは2011年の革命で退陣に追い込まれ、2011年2月11日に辞任した。2012年にはデモ参加者の死をめぐって終身刑の判決を受けたが、再審を経て2017年までにこの容疑については無罪となった。別件では2015年に息子たちとともに横領罪で有罪判決を受けている。2020年2月25日に死去し、軍葬をもって葬られた。