人物
ウンム・クルスームは1898年頃(生年には不確かな点がある)、ナイル・デルタのタマイ・アッザハーイラ村に生まれ、1975年に没した。村のイマームの娘として幼少期から宗教的な歌を歌い始め、その伝記によれば、当初は少年の装いで舞台に立ったという。1920年代初めにカイロに移り、やがて20世紀のアラブ世界で最も讃えられた歌手と広く見なされるようになった。
何をしたか
毎月第一木曜日にカイロから放送された月例コンサートは、数十年にわたってアラブ世界全体の大衆を惹きつけた。一曲の演奏が、名高い即興を交えて1時間を超えることもあった。彼女はエジプトを代表する詩人や作曲家たち(キャリアの晩年にはムハンマド・アブドゥルワッハーブも)と組み、代表曲には「エンタ・オムリ」や「アル・アトラール」がある。東方の星(カウカブ・アッシャルク)の異名でも呼ばれた。1967年の敗北ののちにはエジプト国家のために資金を募る公演旅行を行い、その演奏会は国家的な意味を帯びた。
後世への影響
1975年にカイロで営まれた彼女の葬儀には、推定で数百万人ともいわれるエジプト史上最大級の群衆が集まった。その録音は今なおアラブ古典歌謡の中心であり続け、彼女はエジプトの、そしてナセル時代のアラブ的アイデンティティの、揺るがぬ文化的象徴である。