人物
バイバルス(1223年頃〜1277年)はキプチャク・トルコ系の出身で、少年期に奴隷として売られ、エジプトのバフリー・マムルーク軍団で訓練を受けた。1260年、スルターンのクトゥズのもと、アイン・ジャールートの戦いにおけるモンゴル軍への勝利に指揮官として貢献した。その数週間後、クトゥズが殺害されると王位に就いたが、中世の史料はこの殺害へのバイバルスの関与を示唆している。
何をしたか
スルターンとして(在位1260〜1277年)、彼はマムルーク朝を持続する国家に築き上げた。十字軍の拠点を制圧し(1265年にカエサリアとアルスーフ、1268年にアンティオキア)、モンゴルのイルハン朝と繰り返し戦い、シリアにあるアサシン派の城砦を服属させた。1261年にはアッバース家の生き残りを名目上のカリフとしてカイロに擁立し、マムルーク朝の支配にイスラーム的正統性を与えた。統治者としても有能で、カイロとダマスカスを結ぶ高速の駅逓網(バリード)を整備し、城塞や運河などの公共事業を進めた。
後世への影響
バイバルスはマムルーク朝の建国的英雄として記憶されている。その生涯はアラビア語の民衆叙事詩『シーラト・バイバルス』へと成長し、数世紀後もなお上演され続けた。