人物

プトレマイオス1世は前367年頃に生まれ、前282年に没した。マケドニアの将軍で、アレクサンドロス大王の親しい側近の一人だった。前323年の大王の死後、帝国の分割にあたってサトラップ(総督)としてエジプトを確保した。

何をしたか

アレクサンドロスの葬送の車列を手中に収め、遺体をエジプトに葬った。まずメンフィスに置かれ、のちにアレクサンドリアへ移されたが、その墓は現在では失われている。前305年には自ら王を名乗り、ソテル(救済者)の称号を採った。アレクサンドロスの後継者たちの戦争では対立する後継者を退け、特にエジプトへの侵攻を撃退した。ムセイオンとアレクサンドリア図書館の創設は、彼、息子のプトレマイオス2世、あるいはその両者に帰されており、いずれの功かは議論が分かれている。さらに、ギリシアとエジプトの宗教を融合させたセラピス神の信仰を推進した。

後世への影響

彼の開いたプトレマイオス朝は約3世紀にわたってエジプトを支配し、クレオパトラ7世で幕を閉じた。また、アレクサンドロスの遠征について目撃者として歴史書を著した。書そのものは失われたが、後代の歴史家アッリアノスが用いた重要な典拠となった。