人物
フィリッポス2世(前382年〜前336年、在位前359年〜前336年)は、兄が4000の兵とともにイリュリア人に討たれて崩壊状態にあったマケドニアを引き継ぎ、一世代でギリシアの覇者に変えた王である。メトネの攻囲では片眼を失った。その統治術は外交と買収、そして7度の政略結婚に及び、黄金を積んだロバがあればどんな都市でも落とせるという趣旨の、彼のものと伝えられる警句はことわざとなった。
何をしたか
彼は軍を根本から作り替えた。サリッサと呼ばれる長槍を備えた密集隊形、ヘタイロイ騎兵との諸兵科連合、年間を通じた職業的訓練、そして攻城術という、後にアレクサンドロスが受け継ぐ軍隊であり、その資金はピリッポイ近郊で奪った金鉱が支えた。テッサリアとトラキアへ勢力を広げ、神聖戦争を通じて中部ギリシアへ進出し、デモステネスは弾劾演説ピリッピカでアテナイの反抗を糾合した(この語は今も残る)。前338年のカイロネイアの戦いでアテナイとテーバイを破り、このとき18歳の息子アレクサンドロスが決定的な騎兵突撃を率いた。前337年にはコリントス同盟を創設してギリシアをその覇権のもとに統合し、ペルシアへの報復戦争を決議させ、先遣部隊は前336年に渡海したが、同年、娘の婚礼の場アイガイで護衛のオレスティス出身パウサニアスに暗殺された。オリュンピアス、アレクサンドロス、ペルシアの関与を説く諸説は、憶測の域を出ない。
後世への影響
1977年にヴェルギナで発見された王墓群は広く彼に結びつけられているが、2号墓が彼のものかどうかは議論が続いている。フィリッポスはしばしば、アレクサンドロスの征服の過小評価された立役者、すなわち息子が振るった道具を作り上げた建設者と呼ばれる。