何が起きたか

前499年から前449年まで、アケメネス朝とギリシアの諸ポリスは断続的に争った。ペルシアはイオニアの反乱(前499年〜前493年)を鎮圧し、前494年にはミレトスを破壊したが、ダレイオス1世の懲罰遠征は前490年、マラトンでアテネに敗れた。クセルクセス1世の大遠征(前480年〜前479年)はテルモピュライで勝利し(レオニダス王率いるスパルタ軍の抵抗は後に伝説と化した)、アテネを焼いたものの、サラミスの海戦(前480年)とプラタイアの陸戦(前479年)でギリシア側が決定的に勝利した。その後はアテネ率いるデロス同盟がエーゲ海へ戦争を持ち込み、前449年頃までに戦闘は収束した。いわゆる「カリアスの和約」については、その史実性が議論されている。

背景

発端はイオニアの反乱である。ペルシア支配下にあった小アジアのギリシア諸都市が、前499年にアテネの支援を受けて蜂起した。ペルシアはこれを鎮圧し、続いてダレイオス1世による懲罰の遠征がギリシア本土へ向かうことになった。

影響

ペルシアにとってギリシア方面は広大な帝国の一戦域にすぎず、敗北は限定的な後退だった。ペルシアはその後も地域の支配的大国であり続け、のちには資金と外交でギリシアの争いを裁定するまでになった(前387年の「大王の和約」)。一方ギリシアにとって、この戦争はギリシア人としてのアイデンティティを築いた建国叙事詩となり、最初の本格的な歴史書であるヘロドトスの『歴史』の主題となった。そしてその『歴史』自体がギリシア側の視点に立つ史料であり、戦争の大部分はそれを通じて知られているのである。