概要

メディア人は北西部高地のイラン系民族で、前678年頃〜前550年、エクバタナ(現ハマダーン)を都として、最初のイラン人帝国とされる国家を築いた。ただし通説はヘロドトスの記述に大きく依拠しており、中央集権的なメディア国家がどこまで実在したかは、考古学的には議論が続いている。

主な動き

キュアクサレス王のもと、メディアはバビロニアと同盟してアッシリア帝国を滅ぼした(前612年のニネヴェ陥落)。これがメディアの最も重大な行動であった。その勢力はイラン高原を越えて東アナトリアに達し、リディアとの戦争は戦闘中に起きた日食を機に終結した——伝承では、タレスが予言したとされる前585年の日食と結びつけられている。

終わりと移行

前550年、母がメディアの王女であったと伝えられるペルシア王キュロス2世が、最後のメディア王アステュアゲス(ヘロドトスによればキュロスの祖父)を破り、エクバタナを手に入れた。ペルシアはメディアの行政、宮廷儀礼、貴族層を吸収し、ギリシア人は長くペルシア人を「メディア人」と呼んだ。ギリシアとペルシアの戦争が「メディア戦争」と呼ばれたのはそのためである。