何が起きたか
国王はモサッデグ首相を解任する勅令に署名したが、1953年8月15〜16日の最初の試みは失敗し、国王はバグダッド、次いでローマへ逃れた。数日後、買収された群衆、聖職者のネットワーク、ザーヘディ将軍の指揮する軍部隊が成功を収め、8月19日、モサッデグは国王派の軍と街頭勢力によって打倒された。モサッデグ邸をめぐる戦闘では200〜300人程度が死亡したとされるが、推計には幅がある。この作戦(アジャックス作戦)はアメリカのCIAがイギリスのMI6とともに組織したもので、CIAは文書が機密解除された2013年に関与を公式に認めた。
背景
イランが石油産業を国有化すると、イギリスは石油禁輸で対抗したが国有化を覆せず、その後にクーデターが計画された。アメリカはこの作戦を冷戦の文脈で位置づけた。近年の研究では、外国による組織化と、聖職者・軍・バーザール商人といった国内勢力のどちらをどれだけ重く見るかをめぐる議論が続いており、決着はついていない。
影響
国王は王位に戻り、モサッデグは裁判にかけられて拘束された。石油紛争は国際コンソーシアムによって決着し、イランの石油は利益折半の条件で欧米企業が管理することになり、国有化は名目上維持された。君主制はアメリカの支援のもとで恒常的に権威主義化し、1957年にCIAとモサドの支援を受けて治安機関サヴァク(SAVAK)が設立されたことは記録に残っている。多くのイラン人にとってこのクーデターは米英に対する原点的な不満となり、1979年を含め、以後あらゆる政治的立場から言及され続けている。