人物

モサッデグ(1882年〜1967年)はヨーロッパで教育を受けた法律家で、ヌーシャテルで法学博士号を取得し、立憲革命期以来の経歴を持つベテラン議会人だった。清廉さと芝居がかった雄弁という評判で知られ、国民戦線の連合を率いた。

何をしたか

議会(マジュレス)の推進役として1951年3月にアングロ・イラニアン石油会社の国有化を成立させ、その負託を受けて同年4月に首相となった。イギリスによるイラン石油の禁輸と海上封鎖に直面すると、国際司法裁判所と国連に問題を持ち込み、ハーグの裁判所は自らに管轄権がないと判断した。これはイラン側の得点だった。タイム誌は彼を1951年の年間人物に選んだ。内政では社会改革と選挙制度改革を進めたが、危機と、宗教政治家カーシャーニーら旧同盟者との分裂のなかで、しだいに非常大権による統治へ傾いた。

後世への影響

1953年8月のクーデターで打倒され、軍事法廷で裁かれて禁錮3年となり、その後はアフマダーバードで1967年に死去するまで自宅軟禁に置かれた。多くのイラン人にとって、彼は外国の介入によって断たれた民主的・民族的希望の象徴であり続ける。一方、政権最後の1年の統治手法をめぐる評価は分かれている。