人物

レザー・シャー(1878年〜1944年)はコサック旅団の司令官で、1921年のクーデターで実権を握り、1923年に首相となり、議会がカージャール朝を廃した1925年にシャーとして即位してパフラヴィー朝を開いた。統治は権威主義的で、議会は追認機関と化し、報道は統制され、政敵は投獄あるいは殺害された。本人は広大な個人所有地を蓄えた。

何をしたか

徴兵制による国民軍、中央集権的な官僚機構、しばしば苛烈だった部族定住化政策、国内税で建設したイラン縦貫鉄道(1927年〜1938年)、テヘラン大学(1934年)、宗教勢力の制度を抑える世俗的な裁判所と学校など、国家建設を推し進めた。さらに布告による社会改造として西洋式の服装規定を課し、1936年には女性のヴェールを強制的に脱がせる措置(カシュフェ・ヘジャーブ)を警察力で執行した。この措置は社会を深く分断した。1935年には諸外国政府に対し、ペルシアではなくイランの国名を用いるよう要請した。

後世への影響

ドイツへの接近を受け、1941年にイギリスとソ連が補給路確保のためイランに侵攻・占領すると、息子モハンマド・レザーへの譲位を強いられ、1944年に亡命先のヨハネスブルグで死去した。評価は今も割れており、近代的な中央集権国家イランの建設者とする見方と、上からの強権的近代化の典型とする見方が、標準的な評価として併存している。