人物
シャープール1世は、ササン朝の建国者アルダシール1世の子で、王朝第2代の王である。在位はおよそ240年から270年頃までとされるが、年代には多少の幅があり諸説が分かれる。
何をしたか
彼はローマに対して3度の遠征を行い、ナクシェ・ロスタムに残した自身の大碑文が語るとおり、3人の皇帝に打ち勝った。ゴルディアヌス3世は遠征中に死に(その経緯はペルシア側とローマ側の記録で食い違う)、フィリップス・アラブスは和平のために身代金を支払い、ウァレリアヌスは260年にエデッサで生け捕りにされた——ローマ皇帝が捕虜となった例は、一般にこれが唯一とされる。捕らわれた皇帝と強制移住させられた人々の姿は、ナクシェ・ロスタムやビーシャープールの戦勝磨崖浮彫に刻まれ、ローマ人捕虜の土木技術はペルシアの事業に生かされた——シューシュタルのバンデ・カイサル(堰橋)は、伝承では彼らの手になるとされる。彼はビーシャープールやグンデシャープールなどの都市を建設した。またマニ教の開祖である預言者マニを保護してその布教を許したが、マニはのちに後継の王の下で処刑された。
後世への影響
彼の残した大碑文は、この時代を知るうえで鍵となる第一級の史料である。そして何より、ペルシアはローマと対等であるというササン朝の自己像を確立し、古代の勢力均衡を恒常的に塗り替えた。