人物

ホスロー1世は531年から579年まで在位し、即位名を不滅の魂を持つ者を意味するアヌーシールワーンといった。マズダク運動の動乱の後に秩序を回復した王であり、マズダクを処刑してその運動を鎮圧した。

何をしたか

改革では、収穫に応じて変動していた徴税を定額の土地税制に改め、俸給を受ける職業騎兵の軍を創設し、下級士族であるデフカーンを行政の担い手として登用した。対外的には、ユスティニアヌス帝の東ローマと戦って532年の永久平和条約とその破綻を経験し、540年にはアンティオキアを攻略して住民をクテシフォン近郊の新都市へ移住させ、東方では突厥と同盟してエフタルの脅威を終わらせた。学問の保護者でもあり、529年にユスティニアヌスがアテネの学院を閉鎖するとギリシア人哲学者たちを迎え入れた(史料によればその滞在は短かった)。またインドの書物を翻訳させ、『パンチャタントラ』は侍医ブルズーヤを介して『カリーラとディムナ』として西方に伝わり、伝承ではチェスもインドから彼の宮廷に伝来したという。

後世への影響

定額税制・職業軍・士族による行政というこの改革の一式は、のちのイスラーム諸国家に影響を与えたと考えられている。ペルシアとアラビアの記憶の中で、正義の王アヌーシールワーンは理想の君主の代名詞となったが、その像には歴史と伝説が織り交ざっている。