人物

ジェノヴァ生まれの民族主義思想家・革命家。1830年にカルボナリ運動への関与で逮捕され、以後の生涯のほとんどを、主にロンドンなどの亡命地で過ごしながら、統一共和国イタリアを目指す運動を組織し続けた。

何をしたか

1831年、マルセイユで「青年イタリア」を創設し、民衆蜂起による民主的な統一共和国の樹立を掲げた。運動は最盛期に若きガリバルディを含む数万人を集めた。企てた蜂起は多くが失敗したが、1849年には短命に終わったローマ共和国を三人の執政官の一人として統治し、フランス軍の介入で教皇が復位するまで持ちこたえた。その後も1850年代、60年代を通じて執筆と組織活動を続け、最終的に実現した統一を君主制として受け入れず、終生共和主義者であり続けた。

後世への影響

イタリア統一は主にカヴールの外交とガリバルディの軍事によって達成されたが、統一を考えうるものにしたのはマッツィーニであり、両者と並ぶリソルジメントの精神的支柱とされる。1872年、自らの手で生まれたはずの統一イタリアの中で、偽名のままピサで死去した。その民衆的ナショナリズムの思想は、ヨーロッパを越えて各地の独立運動に影響を与えた。