何が起きたか

1853年7月8日、アメリカ海軍のマシュー・C・ペリー提督が、開国を求めるフィルモア大統領の親書を携え、「黒船」と呼ばれた軍艦4隻を江戸湾口の浦賀沖に停泊させた。数日の交渉を経て、親書は7月14日に久里浜で正式に手渡された。黒煙を上げる蒸気船は、見る者を驚かせた。

翌1854年2月、ペリーはより大きな艦隊を率いて再来航した。3月31日に結ばれた日米和親条約により、下田と箱館がアメリカ船に開かれ、漂流民の保護が保証され、領事の駐在が認められた。

背景

日本は2世紀にわたり鎖国政策を続けていたが、アジア各地では欧米列強の圧力が強まっていた。

影響

1858年の日米修好通商条約(ハリス条約)は、領事裁判権と関税自主権の喪失という不平等な条件で貿易を開き、まもなく他の列強にも同様の条約が広がった(安政の諸条約)。鎖国は終わり、その後の国内危機と尊王攘夷運動により、幕府は15年のうちに倒れた。