何が起きたか
細川勝元の東軍と山名宗全の西軍が、京都の市中に陣を構えて十年にわたり戦った。両将は1473年に死去し、戦乱は1477年、勝者のないまま立ち消えた。京都の大部分は灰燼に帰した。
背景
発端は後継をめぐる争いだった。足利将軍家と有力な家々における相続争いが、戦乱の火種となった。
影響
幕府の権威は崩壊し、地方の大名は中央に従わなくなった。続く一世紀の大名間の戦乱(戦国時代)では、下の者が上の者を倒す下克上が広がった。応仁の乱は、前近代日本における中央支配の実質的な終わりとしてしばしば挙げられる。