人物
源頼朝の異母弟。父の死後、鞍馬の寺に預けられて育ち、のちに平泉の奥州藤原氏に庇護された。
何をしたか
頼朝の軍を率いる指揮官として、源平合戦の決定的な戦いを制した。一ノ谷への奇襲の坂落とし(1184年)、屋島(1185年)、そして壇ノ浦での平家水軍の殲滅(1185年)である。だが頼朝は義経の名声と朝廷からの任官を疑い、敵に回った。追われた義経は平泉へ逃れたが、庇護者の死後に裏切られ、1189年に死へ追い込まれた。伝承では、忠実な僧兵・弁慶が矢の雨を浴びながら立ったまま義経を守って死んだと語られる(伝承)。
後世への影響
義経は日本人に愛される悲劇の英雄である。弱い側に肩入れする心情は、義経の官職名にちなんで今も「判官贔屓」と呼ばれる。