人物

飛鳥の朝廷の皇族で、伝承によれば叔母の推古天皇のもとで摂政を務めたとされる。後世には経典の注釈や霊験譚など壮大な伝説が築かれ、伝統的な太子像がどこまで史実かは現代の研究者の間で議論が続いている。

何をしたか

才能によって人を登用する冠位十二階(603年)と、「和を以て貴しとなす」で始まる十七条憲法(604年)を定めたと伝えられる。607年からは隋へ使節を派遣し、「日出づる処の天子」の言葉で知られる国書を送った。また仏教を篤く広め、四天王寺や法隆寺などの寺院を建立した。

後世への影響

賢人政治家の理想像として、また仏教を保護した皇子として尊崇され続けてきた。その肖像は複数の紙幣に採用された。