人物
正祖に重用され、水原の華城(1794–96年築城、現在は世界遺産)の建設に使われた滑車式の起重機・挙重機を設計した。一族がカトリックと関わりをもっていたため、正祖の死後は弾圧の標的となった。
何をしたか
1801年から1818年まで18年間、康津に流配され、そこで膨大な著作を残した。その著作は伝統的に約500巻と数えられる。倫理的な地方行政の古典「牧民心書」や、制度改革を論じた「経世遺表」が含まれる。
後世への影響
朝鮮王朝の改革学問の頂点に立つ存在である。今日「茶山」の名は研究機関に冠され、その思想はあらゆる立場の現代の改革者に引用されている。