人物

国王高宗の実父。1864年、幼い息子の即位とともに摂政として実権を握り、1873年まで朝廷を支配した、この時代を代表する保守派の実力者である。

何をしたか

王権強化のため、朝廷に深く根を張った門閥勢力を抑え、書院の大部分を撤廃して47か所のみを残し、景福宮を再建した。この再建は多額の費用を要し、悪鋳貨幣による財源調達が経済を圧迫した。対外的には鎖国を貫いた。1866年から始まったカトリック教徒への大規模な弾圧では、数千人ともされる朝鮮人信徒とフランス人宣教師が殺害され、フランスの懲罰遠征(1866年)とアメリカの遠征(1871年)を撃退し、西洋の侵入者と決して和議を結ばないと誓う石碑を全国各地に建てた。

1873年、高宗の親政開始とともに失脚した。その後の数十年、彼の勢力と閔妃の勢力の間で権力闘争が繰り返され、1882年から85年には中国へ一時連れ去られた。

後世への影響

旧体制最後の抵抗として記憶される。宮廷の腐敗を正した改革者と評価する見方と、鎖国によって朝鮮の貴重な時間を失わせた人物と見る見方の双方がある。