人物
亡命先で朝鮮独立運動を率いた指導者で、号は白凡。若き日の1896年、閔妃暗殺に関係すると考えた日本人を殺害して投獄された(鴟河浦事件)。
何をしたか
1919年から上海の大韓民国臨時政府に加わり、最も苦しい時期の臨時政府を率いた。韓人愛国団を組織し、その団員は1932年の一連の攻撃を実行した。尹奉吉による上海での爆弾投擲では日本の高官らが死亡した。これらの行為を韓国は抵抗として顕彰し、日本ではテロ事件として記録された。解放後は1948年の南朝鮮単独選挙に反対し、同年、統一交渉のため平壌に赴いた。1949年6月、ソウルで韓国軍将校により暗殺された。その背景については今も議論が続いている。
後世への影響
回顧録『白凡逸志』は古典として読み継がれている。韓国では、独立と統一を貫いた妥協なき良心として敬われている。