何が起きたか
約14か月に及ぶ包囲の末、コンバウン朝のビルマ軍は1767年4月7日に都を攻略した。アユタヤは焼き払われ、宮殿・寺院・文書庫とシャムの文字記録の多くが失われた。王族を含む数万人がビルマへ連行された。国王エーカタットは都の陥落とともに死去したが、その状況については記録によって異同がある。
背景
侵攻はコンバウン朝の勢力拡大の一環だった。1760年の最初の侵攻は中断されたが、1765年、シンビューシン王は二方面からの侵攻を開始し、両軍は都へと迫った。一般的な評価では、アユタヤ宮廷の派閥抗争が防衛を弱めたとされる。
影響
416年続いた王国は滅び、シャムは一時、各地の勢力集団に分裂した。ビルマ軍はまもなく、清のビルマ侵攻(1765〜69年)に対処するため大半の兵力を引き揚げ、これがタークシンによるトンブリーからの再統一を容易にした。記録の喪失は今もタイの歴史学を規定し、政治の中心はトンブリー、次いでバンコクへと、川下へ恒久的に移った。